【読書メモ】30歳から読む論語 「自分磨き」のヒントが必ず見つかる!4/4
最終章です。
書いていて思いましたが、何でもかんでもまとめればいいというわけではないですね。
長くとも2記事で完結させるようにまとめます。
長くなると要点もぶれますし、短くしようと思考する過程で知識の咀嚼が伴うため
自分の記憶に深く刻まれると思います。
「人間の判断基準は、まず、どんな行動を取っているかである。次にその行動の動機、三番めに結果に対してどれだけ満足しているかだ。この三つを見れば、レントゲンで見るように透けて見える(子曰く、その以すところを視、その由るところを観、その安んずるところを察すれば、いずくんぞ廋さんや──為政篇)」。
生徒指導の際に役立つ考え方だと思います。
その生徒がとっている表面的な行動だけで
人となりを判断するのではなく
その生徒の背景を掘り下げねばなりません。
葉っぱを観るだけでは、根っこがどうなっているのかわからないのです。
そしてその根っこを知れば、根本的なアプローチを生み出す余地が生まれます。
成長しない人にかぎって、失敗するとごまかそうとするものだ。(小人の過つや、必ず文る)子張篇
過ちを犯すことはだれにもある。しかし、その過ちを反省せずに何度も繰り返す。つまり過ちを改めないことがより重大な過ちなのである。(子曰く、過ちを改めざる。これを過ちと謂う)
「一年目は間違えるのが仕事」「上司はいいニュースより悪いニュースのほうが聞きたい」と仄聞しますが、あながち間違ってはいないと思います。
ミスを反省することはもちろん大切ですが、それを改善につなげていくことがいちばん大事なことです。
初心者はまず型を覚えるところからはじまる。型さえマスターすれば、いつでも応用が利くからだ。ところが、この型をきちんと覚えず中途半端にしかマスターできていない人もいる。これは「形無し」と呼ばれてもしょうがない。型を勉強したうえで、オリジナリティ溢れる境地を開発できた人の場合、今度は「型破り」と呼ばれる。
読んで、ぐさりと刺さった言葉の1つです。
昔は自分のやり方にオリジナリティを求めるタイプの人間だったので
(今もその嫌いがありますが…)教え方や授業の形、活動など自分で作り出してばかりでした。
確かに、新しいものを作るのは大切ですし挑戦することは大切です。それは決してなくしてはなりません。が、その下地として、先人たちが積み上げてきたものが身についてこそ中身のある「オリジナル」が出来上がるのではないでしょうか。「守破離」の考え方ですね。
型がある人間が型を破ると『型破り』、型がない人間が型を破ったら『形無し』なのです。
【読書メモ】30歳から読む論語 「自分磨き」のヒントが必ず見つかる!3/4
コロナウイルスで自粛ムード漂っていますが
卒業式は実施できそうです。
生徒数が少ないため、感染拡大のリスクは低いですが
それでも、消毒や換気など取れる手段はすべてとって臨みます。
前回の続きです。
隣の人が人知れず流している汗と涙、苦労や努力を感じとり行動すること。これが恕である。「かわいそうだな」「えらいな」「頑張ったな」「よくやったな」と感じる。ここまでは感性だ。恕にはまだ先がある。感じたら、それに対して反応する。具体的な行動として表現する。「いても立ってもいられない」「なんとかしたい」と動く。そこには計算も打算もない。「相手の心の如く自分も感じる」、これが恕である。
「恕」は好きな言葉の1つです。相手に心から共感し、打算や偽善心なく相手のために心から行動できる。そんな人間になりたいです。
「やってみせて、やらせてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」
何度か登場している山本五十六の言葉です。
部下にものを教えるときのプロセスを具体的に述べれば、①説明する、②実際にやらせてみる、③感想を述べる、④まずは誉める、⑤「こうしたらもっとよくなる」とイメージを理解させる、⑥間違いがあれば指摘する、ということ
まずは「自分から」精神です。
生徒に勉強しろと言うなら自分がその姿勢を見せねばなりませんね。
ちなみに私の上司は終礼時に、今日の振り返りとともに私のできていないところや気をつけるべきポイントを指摘してくれます。
その際「自分も意識しているんだけど」から始めることが多いです。全く嫌味な感じがしなく、すっとことばが入ってきます。
人間を「見る」のではなく、「観る」のである。たんに表面だけを見るのではなく五感を総動員して身体全体で観るのである。そのくらい関心がなければ、人を見抜くことはできない。
人を見て法を説け、というのはこのようなことを言うのだろう。どんなに大声で叫んでも、本人が耳を塞いでいるなら聞こえるわけがない。
著者の方のご意見です。教員は人を観る仕事だと思います。
生徒に心に響く言葉や、指導ができる先生は生徒を本当によく観ています。
生徒の服装や髪型、声のトーンや表情をつぶさに観て声掛けができるようになりたいです。
ちなみにこの能力に秀でている職業の1つがカウンセラーです。
カウンセラーの中には、電車に乗っていて後ろを見なくとも、年齢・性別を当てることができる方もいらっしゃるそうです。
【読書メモ】30歳から読む論語 「自分磨き」のヒントが必ず見つかる!2/4
業務に時間的ゆとりがありましたので、諸々のデータ管理システムの一新をしていました。
まとまった時間がないと、取り掛かりにくいものを今のうちに片付けておきたいです。
前回の続きです。
子曰く、歳寒くして、然のちに松柏のむに後れたるを知る
自分がトラブルを抱えているときにどれだけ他人のことを考える余裕があるか。それが正味の人間の心の容量
厳しい冬の寒さでも、常緑樹は青々と緑を保っている。苦境に立たされたときこそ、その真価が発揮されることを比喩的に表現した一節ですが、似たような言葉で「その人の人間性はピンチのときに現れて、その人が犯すミスはその人を表している」というのもどこかで聞いたことがあります。
「人の上に立つ者は部下から敬われているようで、たえず落ち度を探されており、恐れられているようで侮られ、親しまれているようで疎んじられ、好かれているようで憎まれているものだ。したがって、部下を扱うには碌(給料)で縛りつけてはならず、機嫌を取ってもならず、遠ざけてはならず、恐れさせてはならず、油断させてはならないものよ。つまるところ、部下を率いる要点は部下に惚れられることだ。これを別の言葉で心服と言うが、上に立つものは心服されねばならない」
2000年以上も前に記されていたとは思えないほど、生徒の本質をえぐり出していますね。彼らは試してくることがあります。どこまでやったらセーフなのか…と。そして、「先生だって〇〇してたじゃん!」のネタを探して、よくこちらを見ています。
子曰く、君子に侍するに三つの愆ちあり。言いまだ之に及ばずして言う。之を躁と謂う。言これに及んで言わざる。これを隠と謂う。いまだ顔色を見ずして言う。これを瞽と謂う……………季氏
君子と話すときしてはならないことは
一つは聞かれもしないのに性急に口を出すこと。
二つは訊かれたことに答えないこと。
三つ目は相手の様子を見ないで一方的に話すことである。
だそうです。上長に報告する際も心がけるべきですし、生徒対応でも意識せねばなりません。特に3つ目。個別面談や説諭の際、あれこれ考えてきた言いたいことを一方的に話してしまうことがないようにせねばなりません。言ったつもりになっていて、実のところ本人には伝わっていなかったりして…。
【読書メモ】30歳から読む論語 「自分磨き」のヒントが必ず見つかる!1/2
コロナウイルスへの対応で、勤務先も休校措置です。
生徒にとっては春休みが増えましたが
先生たちも「比較的」時間ができました。(例年より1週間ほど…)
人間は時間とお金はあればあるだけ使ってしまうものですから
それを意識して効率的に時間を使っていきたいです。
ちなみにこの法則はパーキンソンの法則というそうですよ。
次年度の授業計画や教材研究、新しい取り組み・システム構築など
例年以上に準備ができます。せっかくできた時間を活用し
より良い次年度を迎えたいです。
著者の方のお考えや引用が中心になります。
「人の落語を聞いて下手だなと思ったら、同じくらい。どっこいどっこいだと思ったら、相手が上。これはうまいなと感じたら、はるかに相手のほうが上だ」
他の研修会でも聞いたことがあります。「落語」を「授業」に置き換えれば…。
研究授業や研修会等で見る授業を「下手くそ」といって歯牙にもかけない方も
いらっしゃいますが感心できないですね。
曾子曰く、能を以て不能に問い、多を以て寡に問い、有れども無きがごとく、実あれども虚のごとく、犯さるるも校せず。吾が友、かつてここに従事せり)
一流の人間は権威があっても、それでいて圧迫感を感じさせない。(威ありて、猛からず)
能力があるのにない者に聞いて学ぶ。博識をひけらかさず、むしろ知識の浅い人からでも教わろうとする。人から争いを仕掛けられても取り合わない。そういった態度で生徒や周りに接したいです。常に謙虚に…。
歳を重ねると段々と自分の中に自分なりの正義や正解が形成されていきます。もちろんそれは指導の上での軸になりえます。
がそれに固執しすぎると融通が利かなくなり、成長が止まってしまいます。
川の流れが止まると、淀んでいくように。
曾子曰く、吾、日に吾が身を三省す。人の為めに謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか──学而篇
人のために考えて努力できたか、友人に対して誠実だったか、知ったかぶりしていなかったか。日に何度も振り返りましょうと孔子のお弟子さんが言っています。
人のことを考えずマスクを買い占めしたり、ろくに知りもしないのにデマ情報を広めたりと今を生きる人間にも強く突き刺さる言葉です。
【読書メモ】世界一わかりやすい「論語」の授業 2/2
引き続き論語より抜粋です。
偉そうに生徒にひけらかすというよりは
自分の中にしまっておいて、日々の過ごし方の指針となりそうな
言葉が多いですね。
われ日に三たび吾が身を省る。人の為めに謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか。
人のために行動できたのか、友人に対して誠実だったか、知ったかぶりをしなかったか。耳が痛いです。
君子は諸れを己れに求む。小人は諸れを人に求む。
立派な人間は失敗を自分の背とするが、小物は人のせいにする。ということです。
人のせいにするって楽なんですけど、自分の改善や成長はゼロになります。ただそれがすぎると自己肯定感が下がって心を病んでしまいますから、綺麗事ばかり求めすぎるのも毒なのかもしれません。
【読書メモ】世界一わかりやすい「論語」の授業 1/2
借り物の言葉では人に響きません。
ですが、そこに自分の経験や感情を織り込めば自分のものになります。
教員は世間知らずと揶揄されます。
様々な書籍や人に出会い見識を広めていかねばなりません。
そのプロセスの中で得たものが種となり自分の言葉や考えが育っていきます。
その種として論語は欠かせないだろうと思い手に取りました。
学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆うし。
何かを学んでもそれを自分で咀嚼し考えることを怠れば理解はできないし、一人であれこれ考えているだけで、誰からも学ばなければお山の大将状態に陥って危ういのです。 「(人から)学ぶ」+「(自分で)考える」=「学問」ということですね。
生徒は前者に陥りがちです。知識を与えられてとりあえず丸呑みで丸暗記。咀嚼が伴わなければ、味は記憶に残らないですから、授業終了前の振り返りや帰納的な活動を取り入れつつ、頭を動かすよう仕掛けていかねばなりません。
過ちて改めざる、是れを過ちと謂う。
叱る目的の一つは相手の行動に変化を与えることだと思います。過ちは自分で正してやっと過ちと言える。間違ったと知っているのに直さないのは、過ち以前の問題ですね。
これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
知っているというのは、好きというのには及ばない。好きというのは、楽しいというのには及ばない。まさしく好きこそものの上手なれですね。
そうは分かっても、嫌いな教科ランキング上位の英語を、好きな科目にするのはなかなか難しいんですけども…
子貢、君子を問う。子の曰わく、先ず其の言を行ない、而して後にこれに従う。
生徒に関わらず「何を言うか」よりも「誰が言うか」が大切な気がします。
自分の言おうとしていることを先に実行してから、ものを言おうということですね。
これが崩れると「お前に言われたくないわ」となるわけです。整理整頓しろ!と言いつつ、言った本人のデスクはぐちゃぐちゃ。ネクタイも曲がっている。時間を守れ!と言いつつ、言った本人は授業に遅れてきたりチャイムがなっているのに授業を続けたり…。
そういった矛盾を彼らはよく見ています。「実行有言」ですね
【読書メモ】「対面力」をつけろ!
様々な背景の生徒が、通信制高校にやってきます。
対人関係に不安があり前籍校や中学校でつまずいてこちらへ…
といったケースが少なくありません。
そういった生徒に共通するのが一言で言えばコミュニケーション下手です。
それは対友人、対教員、対親と対象は問いません。
(同世代の人とだけ困難を覚える生徒も中にはいますが…)
授業内の活動や、レクリエーション、個別面談などの場面で
それを少しでも上手にできるヒントを求めて手にとったのがこの書籍です。
面と向かってのコミュニケーション能力を対面力と定義し
対面力が低い背景や、その伸ばし方や、考え方などがテンポよく記されています。
ページを進めれば生徒だけでなく自分もできていない部分もあり
自身の対人態度を見直すきっかけにもなりました。
知っている人とだけ、親しい人とだけ交流することがいいことのように思って育ってしまうと、新しい出会いや人との対面が怖くなったり疲れたりするのも無理からぬ話
現代人の生活は、よくいえば便利だが、人と交わらなくても事足りてしまうことが増えている。その結果が対人体力の劣化につながってしまっている。
反応しないことに慣れてしまうと、次第に「打っても響かないからだ」になっていく。 彼らも、おそらくメールやSNSでは友だちや仲間に「即レス」している。指先と頭を使ったすばやいレスポンスはできる。だが、人の話を聞いて手を挙げるとか拍手する、笑うといった反応力は 鈍っている。
授業をしていても反応が薄いのです。中にはうなづいてくれたり笑ってくれたりする生徒もいますが、ずーと仏頂山。生徒だけでなくて、先生達の研修に参加しても頷きもしなければ顔すら見ない方も多かったりします。
企業が採用選考で重視する項目第一位は「コミュニケーション能力」だそうです。そういった能力がないと組織や社会でやってけないということですね。そんな力を涵養していくのも授業の役割なのではないでしょうか。そしてその能力の一つが対面力なのだと思います。
「目を見る」「微笑む」「うなずく」「相づちを打つ」 ──この四つは対面における基本中の基本リアクション
目を合わせる行為に苦手意識があるなら、片目に絞って見るようにしたらいい。 相手の右目に焦点を当て、「1、2」と数える二秒くらい見る。
オウム返しは共感の第一歩
適切なオウム返しは、相手の話をきちんと聞くことが大前提だ。そして感情に寄り添う 気持ちで、返すのがコツだ。
明示的に教え、教員が身を持って彼らに示して行かねばなりません。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。
有名な言葉ですね。
対面力以外でも自分にとっては気づきが多かった書籍でした。人を相手にする職業の方は一読の価値が大いにあると思います。
- 準備のうえでのノープラン──即応力には小ネタが必要
- 会話で人を楽しませるという感覚が乏しいので、そういう小ネタをストックしようと思わない人が多い。
- 失敗や挫折の話のほうがみんな興味を持って聞きたがる。ただし、失敗・挫折などの負の経験談は、けっして愚痴っぽく話してはいけない
- ふだん見聞きしていることを「これは使えそうか」「自分ならどうアウトプットするか」の視点を持ってストックする
- 人はどんなに背伸びをしようとしたところで、 自分の体験や自分の考えに根ざしたこと以上の話はできない
【読書メモ】武器になる哲学ー2/2ー
引き続き同書籍から気になった部分の抜粋です。
最初はエラーについてです。エラーは避けられるべきだという一般常識的な考えに筆者は一石を投じます。
環境により適合したものが生き残るという自然淘汰のメカニズムにおいて、最大の鍵になるのは「適応力の差は突然変異によって偶発的に生み出される」
「偶発的なエラーによって進化が駆動される」という現象は、私たちの社会にも大きな示唆を与えてくれる
Aを追尾する優秀アリだけのコロニーよりも、間違えたり寄り道したりするマヌケアリがある程度存在する場合の方が、エサの持ち帰り効率は中長期的には高まる
「短期的な非効率」が「中長期的な高効率」
生徒や我々がやらかすミスやエラーはひょっとするとなにか大きなブレイクスルーのきっかけになるかもしれません。そんなポジティブな視点も踏まえれば、相手や自分のミスに対して複数の視野を持って分析する心の余裕が持てるのではないでしょうか。
身分の差がなくなり、建前上は誰にでも機会が公平に与えられているからこそ、差別や格差がよりクローズアップされている
すべてがほぼ平準化するとき、最小の不平等に人は傷つく。
一番印象に残っている一節の一つです。昨今男女平等が過剰にクローズアップされすぎている気がします。一昔前は気にされなかったことも、つつかれるようになったということは、そういった声を上げる土壌が醸成され、逆説的に男女平等社会が実現しつつあると言えるのではないでしょうか。
みんな同じにすればするほど、小さく枝葉末節な粗が目立ってしまうということですね。
「要するに◯◯だ」とパターン認識し、自分の知っている過去のデータと照合することはなるべく戒めないといけない
「要は◯◯でしょ」とまとめてしまいたくなったときには、そうすることで新たな気付き・発見が失われてしまう可能性がある
年や経験を重ねればパターンが蓄積され、そのパターンに当てはめがちです。すると当てはめた時点でその新しい概念のオリジナリティは失われ、自分でそれを陳腐化してしまうということですね。
技術や手法は日進月歩です。新しいものに対して、常に新鮮な気持ちでそれに向き合いたいところです。
【読書メモ】武器になる哲学ー1/2ー
この仕事をしておいて言うのもあれですが
自分はそこまで頭が良くないです。
起きている現象や諸問題に対して多角的に考えたり
本質に迫るような解決策が出てこないのです。
だからこそ、少しでも考え方の視野を広げようと読書を始めました。
本書は、哲学者や言語学者といった知識人の思想や理論を
いかに日常生活や仕事、問題解決に応用していくかが述べられています。
堅い内容で読みづらかったですが、じっくり読めば「なるほど~」と唸るものばかりでした。
教育への直接的関連性は薄いですが、知っておくと違った視点で物事を捉えられます。
自分が何かを欲しているというとき、その欲求が「素の自分」による素直な欲求に根ざしたものなのか、あるいは他者によって喚起されたルサンチマンによって駆動されているものなのかを見極めることが重要です。
ルサンチマンは「恨み」や「妬み」のことです。人が取る行動は内発的だったり外発的だったりします。欲求だけにとどまらず、問題行動も「内発的なのか外発的なのか、どちらの要因で惹起されたのか」という視点を持つことで、最適なアプローチを選択しやすくなるのではないでしょうか。
外側の現実は私たちの働きかけ(あるいは働きかけの欠如)によって、「そのような現実」になっているわけですから、外側の現実というのは「私の一部」であり、私は「外側の現実の一部」で両者は切って離すことができないということです。だからこそ、その現実を「自分ごと」として主体的に良いものにしようとする態度=アンガージュマンが重要になる
周囲の人間や社会に対して不満や文句が浮かぶことがあるかもしれませんが、それは実は自分が引き起こしているのではないかという考え方は大切にしたいと思います。
生徒が整理整頓しないのは自分が整理整頓できていないからかもしれない
生徒が遅刻するのは自分が少し遅れて教室に入ることがあるかもしれない
「まずは自分から。」ですね…。
「神の見えざる手」というのは、ヒューリスティックな解を生み出す一種の知的システムとして考えることができる。
需要と供給は自然と程よく調節されていくという教科書にものっている有名な概念ですが、様々なことに応用できると主張し、4つの建物を結ぶ道を作る場合を例に著者は説明します
芝生を敷き、四つの建物を建てたあとで一年ほどそのままにしておくというものです。すると何が起こるか。そう、人の移動パターンに応じて芝生が少しずつはがれていきますから、芝生がたくさんはがれたところは人の交通量が多いルートだと判断して、その部分だけ歩道を敷設すればいい
時間をかけてあれこれ思索するのではなく、とりあえず実行していけば程よく最適なシステムが自動的に出来上がっていくということですね。クラスでのルールやペアワーク、宿題など実施システムを緻密に考えるよりも、悪く言えば見切り発車的に動かしてみてその都度修正を加えていけば最終的に良いものが出来上がるわけです。
もちろん完全見切り発車は不信感に繋がりますから、ある程度の検討は不可欠です。ですが理想を求めているうちに絵に描いた餅に行き着くくらいなら、とりあえずやってみるほうが良いのではないでしょうか。
【読書メモ】心理カウンセラーが教える話を「聴いて」人を育てる技術ー叱ることー3/3
「 生徒の常識は大人の非常識」
と、どこかで耳にしたことがあります。
この仕事をしていると必ず叱る場面が出てきますが
その場面で活かせそうな考え方も言及されていました。
叱る目的は、相手が「今のやり方はうまくいっていないのだ」ということに気づき、「他のやり方でやってみる」という他の選択肢を見つけ、そして「自分にはやれる」という自信を持って、次のステップに向かうこと
叱る目的は先生側のストレス発散ではなくて、生徒の行動・考え方を変化させることといえます。叱るトピックのド定番の遅刻を例にしますと、叱ったあと彼らが何かしら改善行動を取れるかどうかが要になってきます。
そのため指導をしたあとは、行動に変化があったのか観察したり、「あのとき言ってたことやってみた?」と直接聞いたりしています。変わらなかった場合は失敗であり、手を替え品を替え働きかけます。
叱る際のキーワードはWHYではなくHOWだと思います。WHYは後ろ向きです。「なぜあのとき~だったんだ、どうしてできなかったんだ」といった具合にです。HOWは前向きです。「どうやったら、どうしたらできるのか…」と。
WHYで振り返った後、最後はHOWで終わるのが叱る際のお互いに気持ちのいい〆方ではないでしょうか。HOWを引き出す上で必要な心がけも著者はおっしゃっています。
叱るときには、できるだけ具体的、限定的に伝える必要があります。「お前がだめだ」「いつもお前は失敗する」という抽象的、普遍的表現ではなく、「このことがだめなんだ」「今のやり方がまずいんだ」という具体的、限定的表現にすること
叱られているときというのは、どうも「お前はだめだ」「いつもだめだ」と全人格的、普遍的に否定されているように受け取りがちです。具体的に、そして「今のこのやり方」に限定して注意を伝える
HOWを引き出したあとの振り返りの重要性についても著者は続けます。
振り返りの時間を持つ 叱られたことをどうとらえているのか、そのことから学んだことはあったのかについて、話を聴く時間を持つことはとても大切
最後に、6つの叱り上手へのステップを記されていたので自身への戒めとして掲載し終わります。
(1)一対一になる
(2)感情的になっていないか自分をチェック
(3)うまくいっていない点は具体的、限定的に伝える
(4)他にどういう選択肢や可能性があるのかを聞き出す
(5)自信をつけること
(6)振り返りの時間を持つ
上記以外にも大いに、教員としての心構えを涵養できるトピックが含まれており上質な書籍でした。
【読書メモ】心理カウンセラーが教える話を「聴いて」人を育てる技術ー認知特性ー2/3
期末試験が終わりました。
赤点ギリギリだったり、完全に赤点の生徒だったり、はたまたほぼ全てで満点の生徒だったりと三者三様です。
集団授業だと全く理解できないのに、個別で面倒を見てあげると途端に理解してくれる。そんな生徒もいます。
おそらく集団で授業を受けると、勝手に「自分には関係ない」と思い込んで
何も話を聞かないタイプなのかもしれません。
卒業までになんとかせねばなりません。
上記の生徒ほどではないですが、クロンバックの適性処遇交互作用にあるように
同じ教え方でも染み込み方はまちまちです。
本書籍でも「認知特性」の言及がありました。
物事を認識するとき、どんな形での情報に重きを置くかは人によりまちまちであり
それがその人の認知特性です。(以下一部抜粋)
【視覚優位(Visual)の人の特徴】
・写真、図など目で見てわかるものを使うと理解しやすい。
・何か記憶するときには、頭の中で絵にして覚える。
・見かけを大事にし、身なりはきちんとしておしゃれ。
・「話が見えない」「答えが見えた」など、視覚を使った言い回しを好む
【聴覚優位(Auditory)の人の特徴】
・相手の声のトーンに敏感である。
・頬に手をあてたり、相手のほうに耳を傾ける。
・聴いて学習するのが得意。
・声の調子や言葉に反応しやすい。
【身体感覚優位(Kinesthetic)の人の特徴】
・ゆっくりと話してもらうほうが好きである。
・動いたり話したりするスピードはとてもゆっくり。
・具体的感触のあるものや体のふれあいに反応しやすい。
・身体感覚を表す言葉(暖かい、ドキドキする、絹のような手ざわりなど)を好む
【言語優位(AuditoryDigital)の人の特徴】
・論理的な説明や事務的なトーンのほうが伝わりやすい。
・独り言を言っている時間が多い。
・人の話には、筋道が通っているか、理にかなっているかどうかに関心を示す。
・落ち着いた話し方をする。
人により特性は異なるため聴覚優位な人には声のトーンに気をつけて話をし、言語優位な人に対しては明瞭で具体的・論理的に説明しないと伝わりにくいです。
それぞれの優位感覚に訴えるように、自分の得意な感覚以外の表現方法も取り入れる必要があります。
自分の優位感覚だけを使って表現していると、「よくわからない」「インパクトが足りない」と言われてしまいます
勉強方法でも書いて覚える派、見て覚える派、音にして覚える派など色々「派閥」がありますよね
。自分がわかりやすいと思う方法も実は、他の人にとってはしっくりこないことだってあるわけです。
効果的に伝えるうえで大切なことは、何を伝えるかということだけではなく、いかに伝えるかということ
書いていて気づきましたが至極当たり前のことですね。
ただ、授業に慣れて「自分のスタイル」のようなものが出来上がると蔑ろになりがちです。
授業のスタイルや教え方を変化させるのを止めてしまうんですよね。しっくり来るからこれでいいか。と。
初心に戻り再度この認知特性を意識して、授業や生徒指導のスタイルを柔軟に変えていきたいです・
【読書メモ】心理カウンセラーが教える話を「聴いて」人を育てる技術ー傾聴とラポールー1/3
生徒とおしゃべりしてますか。
小規模な学校の特性か生徒と面談をする機会がとても多いです。
面談といいますかおしゃべりに近いときもありますが…。
進路の話、勉強の話、生活習慣の話、悩みの話と十人十色です。
メンタル的にトラブルを抱えた生徒もいるので
カウンセリングチックなこともします。あくまでも「チック」です。
話題によらず「傾聴」「共感的理解」「受容」のカウンセリング三大原則は
効果を発揮します。
上記のような表面的なエッセンスは知っていましたが、もう少し突っ込んでみようと選んだのが表題の書籍です。
読み進めると役立ちそうな事柄が盛りだくさんでした。
分けてまとめようと思います。今回はラポールの形成です。
ラポールは平たく言えば信頼関係のことです。
ラポールが形成されば本音を語ってくれますし
納得し我々の意見を聞き入れてくれることも多くなります。
その形成手段についてまとていきます。
相手が「疲れた……」と言っているときに、「何言っているんだ! まだ若いんだから頑張れ!」と、相手のボールを受け取る前に、自分が投げたいボールを投げていることはないでしょうか。相手は、ただ「疲れたのか……」と受け取ってほしいだけかもしれません。いったん受け取ってから、その後で「頑張れ!」と励ましても遅くはないのです。
やってしまいがちです。向こうの事情を聞くことなくこちらの要望を一方的に話して、納得「させる」ようなことを昔はしていました。
例えば遅刻したり、欠席が目立つ生徒にとりあえず「遅刻するな」と一方的に言うこともありました。一方的なコミュニケーションに納得は存在しないと思います。
あなたの意見を本当に伝えたいときには、相手が全部話して吐き切ったときに伝えてみてください。
今は事情をじっくり聞いて理解を示した後、「それは分かるよ。分かるけれどね…」と続けています。
話を聞く際はその態度も大切です。(常識的なものですが…)
①相手が話しているときは、作業の手を止めて聴いているか
②相手のほうを見て聴いているか
③腕組みや足組みをしないで聴いているか。
何気ない雑談もそこにカウンセリングマインドを持って臨めばより有意義なものになっていきます。
リソースは、そのことを思い出すだけでエネルギーがわいてくるような過去の成功体験、楽しい思い出、尊敬している人、自分のことを愛してくれる人、夢中になっていること、趣味、お気に入りの場所などのこと
リソースを話すことで人は活性化します。
「相手のリソースを聴く」ということは、相手から元気を引き出していくコミュニケーションスキルです。
ユダヤのことわざにもこんなものがあります。
人には口が一つなのに、耳は二つあるのは何故か。
それは自分が話す倍だけ他人の話を聞かなければならないからだ。
先生は話す仕事ですが、それとともに聞き上手でなければなりませんね。
【読書メモ】こうすれば必ず人は動く
かの有名なデール・カーネギー氏の書籍です。
書籍全体のレビューはアマゾンさんに委ねまして
教員の観点から学びや気づきのある一節を切り出します。
「相手に対する自分の態度が、自分に対する相手の態度を決定する」 ということもまた真実です。
カーネギー氏は、相手の態度行動は、自分が生み出していると述べ
人を変えようとするなら、まず自分自身を変えることから始めるべき
とも主張します。つまり自分の行動・態度で相手の行動も変わるということです。
至極当たり前のことですが、どんな態度を取るべきなのかが難しいところです。
カーネギー氏はセオドア・ルーズベルトの逸話を例として示します。
ホワイトハウスで執務中のルーズベルトのもとに、近くの陸海軍ビルからとある連絡が届きます。
「ご子息とその仲間たちが、鏡で太陽の光を反射させるいたずらを我々のビルにしていて、仕事にならない」と。
そこで、怒髪天を衝いて子どもたちを叱りつけるかと思いきやルーズベルトは意外な形で子どもたちにはたらきかけます。彼は海軍ビルの屋上から手旗信号で以下のメッセージを送るよう指示を出します。
「全員に告ぐ。本ビルディングに対する攻撃をただちにやめよ。仕事が 滞り、国事が中断される。『もうお前たちにもわかっている例の件』につき、直ちに私のところまで報告すること。セオドア・ルーズベルト」
子どもたちは戦争ごっこしていたわけですが、彼は彼らの言葉ー手旗信号ーで語りかけたのです。当然、「あ、やべぇ」となりますが彼らのプライドは保たれ辱めも受けずにすんだ格好となりました。
ちなみに、しょげて大統領の書斎にやってきた子どもたちに対して彼は真剣な顔つきで疑似軍法会議を開き全員に有罪判決を言い渡したとのこと。
相手の波長に合わせて相手を支配する
自分たちの言葉を使って相手をしてくれた父に対して、子どもたちは信頼や敬愛の念も生まれるかもしれません。
相手の波長に合わせてというのは色々応用ができそうです。引きこもりの子供への親の対応について書かれた書籍で、ゲームをやめない子供のゲームの時間をコントロールするには「やめろ」というのではなく、親も一緒にそのゲームを楽しんで「そろそろやめようか」と声をかけると良いという記述もありました。
また、数年前ハンドスピナーが流行った頃、授業が始まっても取り出して遊んでいた生徒がいたのですが、おんなじような対応でうまくいきました。
(授業が始まっても取り出して遊んでいる生徒に近づいて)
T「なにそれ」
S「ハンドスピナー」
T「おお!あの噂の!?気になってたんだよね、ちょっとやってみたい!貸して!」
(渡してくれる)
S「どう?」
T「あ、こういう感じね~」
(手で回したまま教壇に戻ってそのまま授業へ)
全部が全部そうすればOKという話ではないですが
彼らのフィールドにうまく入り込んでそこから働きかけるのも
一つの手だと思います。
【読書メモ】「誰かのため」が、「自分のため」につながる 日本一の秘書が教える気配り仕事術
通勤の空き時間などは読書をするようにしていて
Kindle Unlimitedに登録してスマートフォンやKindleで読んでいます。
気になった箇所を指一本ですっとなぞれば
読書メモとして保存され
https://read.amazon.co.jp/notebook
にアクセスすればデータ化されたメモをいつでも眺めることができます。
そんな形で読書をしていて蓄積していったメモを
振り返りがてらここで再構築しています。
ハイペースで本を読んでいるわけではありません。
引き続き気配りについての書籍です。
気配りが要になる仕事といえば秘書でしょうか。
大学で秘書検定2級を取らさ取得しましたが
テキストの中身は、相手や上司、同僚への配慮のかたちを問うものが
多々取り上げられていました。
この書籍にはそんな秘書の中でも一流の方の心がけや思想が詰まっていました。
「誰が見ても、どんな場合でも、たとえ自分がいなくても分かるようにしておくのが仕事」
自分がわかるからいい…と自分を納得させてはならないということですね。
私は面倒くさがり屋なところがあり、「自分がわかればいい」に甘えて
雑に書類を分類したりすることがあります。
が時間が立つとその書類を探すのに手間取ったりして結局時間を浪費することが多々多々多々…。だったら最初から丁寧に整えておけよと。
相手が見ても分かるようにすることは、回り回って自分も後々得をするということですね。
「常に相手の立場に立って、自分の行動を省みれば、足りないもの、至らない点は自ずと見えてきます。」
「すべては相手が判断すること。もし、「これだけやってあげれば、気が利いているでしょ」という気持ちが少しでもあったら、 間違っても気配りとは呼べません。ただの自己満足」
保護者や生徒というお客さんがお金を払って店員の我々が教育サービスを提供する。そんな切り口で見てみれば、教員はある種、接客業です。理不尽な要求をするお客もいる点も通ずるところがあったり…。(私の職場はそういった方とは無縁ですが)
店員がいい店員で信頼できるか否かは、お客さんが判断します。
わかりやすい授業なのか否かは、生徒が判断します。
授業然り、ハンドアウト然り、事務仕事然り相手がどう感じるのかという視点は
不可欠だと思います。そしてその視点を持って自分の行動を変えることは
自分への信頼へとつながっていくのではないでしょうか。当たり前の話ですが…。
ただ、当たり前のことを実践することって
なんだかんだ難しいんですよね。
【読書メモ】気がきく人になる心理テスト
心理テストとありますが、チェックリスト感覚に近いものでした。
印象に残った項目をピックアップしていきます。
「駐車するときは運転席側はギリギリに、助手席側は余裕を持って」
他者に対しての配慮をうまく捉えた比喩だと思います。
自分側ギリギリいっぱいにしておけば、相手に余裕を与えることができます。
そして最終的には自分にも余裕が返ってくるかもしれません。
「ありがとうと言わなくてもいいときこそ、ありがとうと言う」
自分の視点では言わなくてもいいと判断しても、実際に言ってみれば
相手からすれば嬉しいものではないでしょうか。
「ふんぞりかえって、子分に威張っていては、人の上には立てません。」
彼らは本当に人を見ていると思います。この先生はここまでして大丈夫。
あの先生は厳しいからおとなしくしておこう…と。
そして、「何を言うか」よりも「誰が言うか」で自分の行動を変える気がします。
「仕方がない」というのが、説得力。 「なるほど」というのが、納得力です。
説得は一方方向になりがちですが、納得をゴールとすれば対話の余地が生まれてきます。納得させるように意識を変えると、あなたの接し方もおのずと変わってくるはずです。
また説得させられるより、自分が納得したほうが前向きに取り組めます。
勉強方法や生活習慣の見直しなどいろいろな場面で役立てられそうです。
自分ができていないことだらけです。
本当の善行は、善行をしようと思ってとった行動ではなく
心の底から相手を思って表出した行動であるという言葉がありますように
こういったことを意識せずとも気の利いた行動ができる人間を目指したいです。