【読書メモ】武器になる哲学ー1/2ー
この仕事をしておいて言うのもあれですが
自分はそこまで頭が良くないです。
起きている現象や諸問題に対して多角的に考えたり
本質に迫るような解決策が出てこないのです。
だからこそ、少しでも考え方の視野を広げようと読書を始めました。
本書は、哲学者や言語学者といった知識人の思想や理論を
いかに日常生活や仕事、問題解決に応用していくかが述べられています。
堅い内容で読みづらかったですが、じっくり読めば「なるほど~」と唸るものばかりでした。
教育への直接的関連性は薄いですが、知っておくと違った視点で物事を捉えられます。
自分が何かを欲しているというとき、その欲求が「素の自分」による素直な欲求に根ざしたものなのか、あるいは他者によって喚起されたルサンチマンによって駆動されているものなのかを見極めることが重要です。
ルサンチマンは「恨み」や「妬み」のことです。人が取る行動は内発的だったり外発的だったりします。欲求だけにとどまらず、問題行動も「内発的なのか外発的なのか、どちらの要因で惹起されたのか」という視点を持つことで、最適なアプローチを選択しやすくなるのではないでしょうか。
外側の現実は私たちの働きかけ(あるいは働きかけの欠如)によって、「そのような現実」になっているわけですから、外側の現実というのは「私の一部」であり、私は「外側の現実の一部」で両者は切って離すことができないということです。だからこそ、その現実を「自分ごと」として主体的に良いものにしようとする態度=アンガージュマンが重要になる
周囲の人間や社会に対して不満や文句が浮かぶことがあるかもしれませんが、それは実は自分が引き起こしているのではないかという考え方は大切にしたいと思います。
生徒が整理整頓しないのは自分が整理整頓できていないからかもしれない
生徒が遅刻するのは自分が少し遅れて教室に入ることがあるかもしれない
「まずは自分から。」ですね…。
「神の見えざる手」というのは、ヒューリスティックな解を生み出す一種の知的システムとして考えることができる。
需要と供給は自然と程よく調節されていくという教科書にものっている有名な概念ですが、様々なことに応用できると主張し、4つの建物を結ぶ道を作る場合を例に著者は説明します
芝生を敷き、四つの建物を建てたあとで一年ほどそのままにしておくというものです。すると何が起こるか。そう、人の移動パターンに応じて芝生が少しずつはがれていきますから、芝生がたくさんはがれたところは人の交通量が多いルートだと判断して、その部分だけ歩道を敷設すればいい
時間をかけてあれこれ思索するのではなく、とりあえず実行していけば程よく最適なシステムが自動的に出来上がっていくということですね。クラスでのルールやペアワーク、宿題など実施システムを緻密に考えるよりも、悪く言えば見切り発車的に動かしてみてその都度修正を加えていけば最終的に良いものが出来上がるわけです。
もちろん完全見切り発車は不信感に繋がりますから、ある程度の検討は不可欠です。ですが理想を求めているうちに絵に描いた餅に行き着くくらいなら、とりあえずやってみるほうが良いのではないでしょうか。